STREET SLIDERSについて(3)
ストリート・スライダーズ (STREET SLIDERS)、というよりハリー (Harry) こと村越弘明(以下ハリー)は、一貫して1つのテーマを基に音楽表現を行ってきました。
その根拠を書く前に、歌詞を参照します。
他にもよく出てくる言葉があります。
全体的に「おれ」の立場での曲が多いのですが、「おまえ」の立場での曲もあるようです。中には「おまえ」で始まり最後の土壇場で「おれ」なんていうのもあります。 また、「おれ」と「おまえ」の間を行ったり来たり或いは上がったり下がったりする表現者としてのハリーの葛藤や苦悩なんかも見受けられます。
いずれにしても、「詞(ことば)」で形成された「表現(おんがく)」に対するハリーの姿勢が「音(おと)」に反映され、その「音(おと)」が「詞(ことば)」にフィードバックされるというサイクルまたはこの逆のサイクルがスライダーズの基本パターンとして構築されています。これは、「音(おと)」で「詞(ことば)」の裏付けをし「詞(ことば)」で「音(おと)」の裏付けをするという相乗効果にもなっているのです。
このように執拗なまでに繰り返されるひたむきな姿勢こそが、ハリー及びストリート・スライダーズの魅力であり凄さなのです。
「野良犬にさえなれない」という曲は、「何かと折り合いをつけて音を垂れ流すことはできない」、「妥協をした上での表現はできない」という表現者としての決意表明で、先にも書いたように一貫してこのテーマがすべての曲に反映されてると私は感じています。(完)
その根拠を書く前に、歌詞を参照します。
- ほうり出され 雨の中 ひとりきり 雨の中 「すれちがい」より引用。
- 傘の中からずっと 雨を見てたのさ 「野良犬にさえなれない」より引用。
- 空は晴れてるのに 雨が降ってるのさ 「野良犬にさえなれない」より引用。
- 静かな雨の音を聞き 夢から覚める 夜もある 「PACE MAKER」より引用。
- 影をひきずって 何処へ行こう 土砂降りの朝に 「Time is everything to me」より引用。
- 街はどしゃ降り 通りは行き止まり 雨に降られた 俺たちのせて 「天国列車」より引用。
- 通りは今日も ほこりっぽい あの娘は今も 冷たい雨を待っている 「今はこれでいいさ」より引用。
- 雨はいつから降り出したのだろう 乾ききった歩道の上に 「蜃気楼」より引用。
- 降りやまない雨に打たれよう 降りやまない雨に撃たれたい 「VELVET SKY」より引用。
- 降りだした雨が 霧にかわる 午前0時 「ハートに風穴」
- 雨さえ降らない街で 誰もかれも音をあげるほど 同じ仕事を繰り返す 「WHERE DO I GO」より引用。
- 空は重く のしかかり 雨はずっと 降りつづいてる 「Baby,途方に暮れてるのさ」より引用。
- 風の街に生まれ 雨の夜をすごし 「風の街に生まれ」より引用。
- 降っても晴れても All day workin' 「Yooo!」より引用。
- 激しい雨に打ち砕かれて おまえはどこかへ放りだされる 「安物ワイン」より引用。
- まばたきひとつで 街は夢 ため息ひとつ 街は雨 「PANORAMA」より引用。
- 雨に煙る街に 明かりが灯り 閉ざした心を掬うように 「虹を見たかい」より引用。
- 土砂降り雨に降られて 土砂降り雨に流され 「どしゃ降り雨に洗われて」より引用。
他にもよく出てくる言葉があります。
- 街
- おまえ
- おれ
- 天使
- 道
- 車
- コイン
- ダンス
- 傘
- シャツ
- 夜
- 朝
- 空
- 風
- 嵐
- 雨
- 雲
- 霧
- 虹
- 道化者
- 天使・夢
- 確たる絶対的な何か(理想の表現)。
- おまえ
- あえて個人を特定するならば、「確たる絶対的な何か(理想の表現)に辿り着いている内なる自分」。
- 風
- 確たる何か(理想の表現)への兆し。
夜明け・朝・虹・ドア・光るもの等もここへ分類。 - おれ
- あえて個人を特定するならば、「確たる絶対的な何か(理想の表現)に辿り着いていない内なる自分」。
道化者はここへ分類。おれ>道化者。 - 夜
- 「おれ」が存在する場所若しくは時間。
- 空・天気
- 「おれ」の心や気持ちを象徴する。
- 雨
- 「おれ」と「おまえ」との距離・ギャップ又は隔てるもの。
強弱あり→嵐>雨>雲>霧。
壁もよく出てきますのでここへ分類 - 街(「おまえ」の視点)
- 「天使」や「夢」が存在する。
- 街(「おれ」の視点)
- 「夜」と同義。
- 歩道・線路等の道及び道に関連するもの。
- 「おまえ」の街と「おれ」の街を繋ぐもの。
- 車・コイン・ダンス・傘・シャツ・列車
- 「おれ」の表現(音楽)。
「おれ」と「おまえ」を繋ぎ止めている。
これにより「おれ」と「おまえ」の距離が変わる。
(注)これらの言葉は、それに付随する単語や修飾語により逆意になる場合もある。
特に、「おまえ」の分類が難しいのすが、「おれ」と一対なのでこのようにしました。
ちなみに、本人に聞いたわけではないのでどれか正解というのもありません。感じたことを書いてみました。
全体的に「おれ」の立場での曲が多いのですが、「おまえ」の立場での曲もあるようです。中には「おまえ」で始まり最後の土壇場で「おれ」なんていうのもあります。 また、「おれ」と「おまえ」の間を行ったり来たり或いは上がったり下がったりする表現者としてのハリーの葛藤や苦悩なんかも見受けられます。
いずれにしても、「詞(ことば)」で形成された「表現(おんがく)」に対するハリーの姿勢が「音(おと)」に反映され、その「音(おと)」が「詞(ことば)」にフィードバックされるというサイクルまたはこの逆のサイクルがスライダーズの基本パターンとして構築されています。これは、「音(おと)」で「詞(ことば)」の裏付けをし「詞(ことば)」で「音(おと)」の裏付けをするという相乗効果にもなっているのです。
このように執拗なまでに繰り返されるひたむきな姿勢こそが、ハリー及びストリート・スライダーズの魅力であり凄さなのです。
「野良犬にさえなれない」という曲は、「何かと折り合いをつけて音を垂れ流すことはできない」、「妥協をした上での表現はできない」という表現者としての決意表明で、先にも書いたように一貫してこのテーマがすべての曲に反映されてると私は感じています。(完)